なんだかんだで良い季節なんですけどね。着込むでもなく汗ばむでもなく。身軽なおしゃれ。ただ外気と室内との温度差がないので、身を隠す衣がなく、朝から晩まで本日の全てをさらしている状態になり、失笑コーデは逃げ場のない、重苦しい1日を背負うことになるんですよね。おしゃれって死闘戦だね。
でも、おしゃれ、昔はもっともっと血を流していたような気がするな。多感だったからかな。夜中に布を引き裂いて血眼で(指からもすごい血は出てる)翌日着ていきたいリメイクスカート作ったりしてたよ。
このあいだ原宿、ひさしぶりに行ったらなんかやっぱ面白かったよ。
で、唐突ですけど、脳みそのお話しします。人間の脳の発達というのは、3つ子の魂とよく言うように3歳までで最初のピークを迎えるぐらい、ぐーんと発達しきっちゃうんですけど、その後まあだいたい12歳前後まででほとんどの成長が終わると言われてますよね。(や、ほんとかよ。6年生とかまだ芋食って鼻水垂らしてたよ)←って思ったら、「前頭前野」と呼ばれる、いわゆる倫理的な思考を司る部分、人間を人間たらしめていると言われる脳の重要な部位、
この場所だけは大体25歳ぐらいまで成長が続く(25歳!)、つまり発達しきってないらしいんですよね(25歳!!)選挙権とか少年犯罪の懲罰年齢とか、わたし漠然と、社会的にまだ子供だから、という理解しかしていなかったです、お恥ずかしながら。
社会的にとか環境がとかの外的要因とじゃなくて肉体として発達しきってないんですよね。要はこの未発達の状態では、思考、行動の抑制、情動の制御、意識の集中、分散という理性のコントロール全般が出来ておらんと。
でもじゃあ、これが発達しきったらじゃあ人間の完成度があがるのかっつったら、そういう訳じゃないでしょうけどね。(発達と言っても神的視点で「人間」が立派に完成される、というんじゃなく、ホモサピエンスとして「肉体」が完成される、というイメージですね)、でもつまりリビドーに支配されて本来のパフォーマンスができてないって状態からいっこ抜けるわけですから。そういう意味ではMAX完成形、自分のポテンシャル到達点には至ると。
で、25歳 ですよ。就職3年目とかですか。古墳時代ならだいたい死んでる歳だよ(適当)。ね、全国の悩める転生ご希望の青年よ!(上司は僕の本当の力をわかってくれず罵声ばかりを浴びる毎日ですがそもそも僕の本当の世界は此処ではなく中世の田舎街で村娘に白魔術を教えているのd 25歳・会社員)、それは中2病ではなく、ただの中2だったのだよ~~!
抑制の効かないそのほとばしる愛よ怒りよ、あのパンクそのパンク、ぜーんぶ成長前の前頭葉に支配されているただのお未熟、と思うと、それはそれでまあまあコメディだなと思ってしまった。まあ思っただけです。
かくいう私などは、25をゆうに超えた今も、意識集中のコントロールはおろか、憎しみのお経を世界中に唱えるが営みの、もともとの理性に問題がある団子虫ですが、
そんな私でも、最近はこの世に存在するさまざまな相容れない考え方や、理不尽で阿呆だと思う意見に対して、いちいちゴングを鳴らし正しく想いを伝えなければ、と謎の義務感を感じることもとんとなくなり、むしろ思想や能力(優秀な遺伝子)の統一は、強すぎる捕食動物と同じで生態系の偏り、すなわち絶滅を意味するのだ!我々の社会に必要なのはダイバーシティー!と思えるようになってきました。理解のポーションが確実に貯蓄されていっている。前頭葉。
そのかわり自宅の、晩御飯の机の上に、たとえば阿呆みたいな思想が並んでいたら、恐らくすり鉢でつぶしてから熱した油をかけて息の根を止めると思う(子供)。でもそれでいいよね。自分のお部屋は自分のお部屋。外には出ないよ問題性!ʕ•ᴥ•ʔ
団子虫もパンサーもカモノハシも生きるお外の世界。みんなで長生きしましょう。
仕事が終わらなくて死にそうです。死にそうではあるが私などが死んだところで何の報いにもならなそうでもある。早く無心で小さなもの並べて遊びたい。
それではさようなら。
矢島沙夜子
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